35歳になった理想の自分と現実の自分を比較してみる
<理想の自分>
既婚。でなくても安定したパートナーがいる。
日々穏やかである。
好きな仕事をしている。
質素慎ましやか且つ清潔な生活。
だけどたまにハッとするような物を持っている。
アイロンがかけられパリっとした服を着ている。
料理上手である。
急な来客があっても冷蔵庫にある余り物でささっと一品作れちゃう的な。
ガーデニングが趣味である。
英語ペラペラである。
<現実の自分>
パートナー候補なし。彼氏と別れもうすぐ一年。
日々生きていても仕方ないと自己嫌悪してる。穏やかとは程遠い。
仕事は好きではない。給料低い。周囲の人が良い人ばかりで、何よりずっっっと忙しかったので疑問に思う暇すらなく勤めていた。また取引先は世界トップ企業だったため勉強になることも多く、やり甲斐を感じていた。が、いろいろな条件が重なり休職中。
(ちなみに同期の中ではかなり期待されていたし、取引先の会社からの信頼も厚かった自信はある。そのトップ企業の人たちとは個別の付き合いもさせていただいた。)
ブランド物は好きだが買えるほどの経済力はない。そのため質素かもしれない。本とファーストリテイリングの服だけは溢れかえった部屋。質素かもしれないが慎ましやかではなく清潔どころか雑然としている。洗濯物畳んでない。
ハッとするようなものは一つも持ってない。せいぜい祖母がくれた宝石類など。
アイロン一度しかかけてない。持ち運び用の小さいやつなのでやりにくいという言い訳。
料理はこの半年まともな物は一度しか作ってない。もっぱら冷凍うどんに野菜とか納豆乗っけて終わり。コンロが一つしかなく、人工大理石にはすぐに油染みや水垢がついて一瞬で取れなくなるため、それが日々ストレスになり水周りを敬遠するようになる。
なんとなく観葉植物は育ててる。心に余裕がない時は水遣りを忘れる。
英語?まぁ日常会話とメールくらいなら。
比較すると。
甘く見積もって素養がありそうなのはガーデニングと英語くらいか!?理想の自分が今の自分からかけ離れすぎてて笑えた。延長線上のどこにもいないじゃないか!もはや私ではない誰かだ。でも、そういう人に憧れるんだ。
よくさ、自分で自分を認めてあげなきゃとか言うけどさ。
でも、、、こんな理想とかけ離れた自分を、どう認めてあげるっていうんだろう。自己嫌悪なら募るのに、それを認めるって。
認める強さがないのがいけないんだろうか。ここに恥を捨てて列記してる時点で、ダメなところは「認めて」はいると思うんだけど、、、
認める。ダメな自分を列記する認めると、ダメな自分を自分だと受け止める認めるは、意味合いが違うってことなのかな。
どこまで深めれば認めたことになるのか。
あぁ、苦しい。
一つずつ、一歩ずつやっていくしかないよなぁ。あ